【STORY】
1964年3月22日。1台の乗用車がある建物へ急ぐように到着する。お腹に子供がいる若い女性ヒラリーはその建物に預けられるようだが、送ってきた両親に“見られないようにするから家にいさせて”と懇願。しかし、両親の車は彼女を降ろして走り去る。やがてヒラリーは、何者かに殺されてしまう。
そして現在。ヒラリーの娘バーバラはフィラデルフィア市警殺人課を訪ね、2か月前に育ての母が亡くなった後、自分が養女だったことを初めて知ったといい、1964年に17歳だった実母ヒラリーが、自分を産んですぐに殺されて迷宮入りになった事件の再捜査を依頼してくる。“あなたはお母さんと仲よくないの?”と問われて動揺しながらも、リリーはコールドケースの扉を開く。
1964年当時、米国で“未婚の母”は中絶も認められずに世間から白い目で見られ、ヒラリーは両親の薦めで自分と同じような十代の少女をひそかに集めて出産させ、産まれた子供の養子斡旋をする施設《セント・メアリーズ》に預けられていた。ヒラリーは当時、ハンクという恋人と付き合っていたが、現在のハンクは孫もいて幸せに暮らしており、当時ヒラリーと結婚しようと決意したが、ヒラリーの父に反対されたという。また現在のヒラリーの母パトリシアは、《セント・メアリーズ》が予想したような施設でなく、少女たちが“フランケン博士”のアダ名を持つ医師フィネガンらによってひどい扱いを受けたという。フィネガンは6人もの命を奪いながらすでに他界し、ヴァレンズらは施設で働いたシスター・マーガレットを訪ねるが、シスターは、自分たちは世間から見捨てられた少女を救ったと言い張り、ヒラリーがカレンという不良少女と仲がよかったと思い出す。現在のカレンは、当時ハンクが確信犯的にヒラリーを捨てたことを証言し、ハンクに都合が悪い秘密をヒラリーが握っていたようだと証言。そんなハンクはヒラリーの母パトリシアが、娘が自分で子供を育てるといったことに激怒していたという。パトリシアは自分が子供を産んで運命が変わったのを認めつつ、シスターがヒラリーに子供を養子として手放すのを無理矢理認めさせたと振り返る。やがてシスターが、赤ん坊を売り飛ばしてワイロを得ていたのが明らかに。シスターはその事実を認めつつもワイロは教会に寄付したといい、ヒラリーに脱走をほのめかしたと証言する。
真犯人はカレンだった。自分が赤ちゃんを手放したことを後悔したカレンは、ヒラリーに同じあやまちを繰り返してほしくないと思ったが、彼女と揉み合いになり、あやまってヒラリーの命を奪ったのだった……。
【今回の深読み】
今回の事件は、せつない事件が多い「コールドケース」の中でも特に哀しいと思ったのは筆者だけではないだろう。ヒラリーの命を奪ったのは、最もヒラリー近いカレンだったとは……。しかし残酷な現実を見る者に突きつけ、考えさせるからこそ、筆者はこのドラマを支持したいとあらためて感じた次第だ。
今回意表を突かれたのは、1960年代の米国音楽もまた、ある意味混乱していたこと。アメリカン・ドリームそのままなシュープリームスの曲が流行する一方で、前回のボブ・ディランのように内省的なアーティストもいれば、今回のラストに流れる“You Are My Sunshine”のカバーを歌ったカーリー・サイモンのようなアーティストもいた(実はシニカルな選曲ではないか)ということは、時代の混乱のひとつの反映である。そんな時代の混乱の中で若いヒラリーが命を落とした、その事実はどう解釈しても重いように思える。
【“フランケン博士”】
メアリー・シェリーによる古典小説に登場した、人造人間を生み出した男、フランケンシュタイン博士がルーツと思われる。なおすでにさんざん言われたことかもしれないが、フランケンシュタインは怪物の名前でなく、生み出した博士の名前だ。
【映画「ビキニ・ビーチ」】
1964年に全米でヒットした映画「ムキムキ・ビーチ」(劇場未公開)の同年に作られた続編。監督はTV「奥さまは魔女」の主演女優エリザベス・モンゴメリーの夫だったウィリアム・アッシャー。筆者は未見だが、想像するに、厳しい世相があったからこそおバカに徹した青春映画だったのだろうか!?
2008.10.25|エピソードガイド|固定リンク|コメント(0)|トラックバック(0)
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